家族にとって精神的な存在!納谷学さん、納谷新さんの実家とは?【あなたの実家のこと、教えてください!】

建築家の納谷学さん、納谷新さんの実家について、子ども時代の思い出から、今だから話せるエピソード、実家を巣立つときの心境などをざっくばらんにお話を伺いました。

建築家納谷学さん、新たさん

納谷学さん、納谷新さん兄弟は、1993年から共同で建築設計事務所を設立。

さまざまな設計するなか、2004年に2人で実家を設計・建築した。

そんな彼らにとっての実家とはどのようなものなのでしょうか?

納谷ブラザーズの2人にとって実家とは?

A. 15分だけでも、やはり帰る場所(学さん)
家族それぞれが持つ精神的な存在(新さん)

建築業界でも、兄弟でユニットを組む「納谷ブラザース」は稀有な存在です。

斬新な作品を発表し続ける2人は、13年前、故郷で両親が住む「実家」を設計しました。

以下の写真は、『住まいの設計』2007年3月号でも掲載した納谷兄弟が設計した秋田県能代市の実家。

建築家納谷学さん、新たさんの実家

『住まいの設計』2007年3月号

「日本海側の冬は寒くて暗いので、とにかく防寒と採光に配慮した」(学さん)という実家は、完全バリアフリーで高齢者向けの工夫が凝らされています。また2階は、窓が四周を帯状に巡り、冬でも 十分に光が入るようにも。

両親は「年寄りのための家だ」と満足してくれているとか。

そんな新しい実家と少年時代まで兄弟が暮らした実家についての思いを2人に聞きました。

(新さん)「実家は本家だったので、人が多かったですね。嫁入り前の叔母2人、祖父母、それに一時は父の兄の家族も一緒に暮らしていたりで、人が多いぶん、思い出もたくさんあります」

(学さん)「子どもの頃2階がにぎやかなので上がってみると叔母が角隠しの姿だったのを覚えてます。昔は、家からお嫁に行きましたから」

 

家の前で待つ母親が、実家のイメージ

納谷さんの実家は、雪国・秋田の能代市。田舎だからか、よく遊んだのは家の中ではなく、もっぱら外だったという。

(新さん)「海や港、線路で遊んだり、虫捕りもよくしました」

(学さん)「海は遠かったけど、近所の小学生のお兄ちゃんが行くというので、保育園児の僕は三輪車でついていったら、置いてけぼりに……。
たどり着いた海には知り合いが誰もおらず、仕方なく引き返すと、どんどん日が落ちて、べそをかきながら必死にペダルを漕いだなぁ。
心配した母が家の前で待っているのを見て、大泣きしましたよ(苦笑)。この原体験で、実家は帰ってくる場所というイメージが植え付けられました(笑)」

建築家納谷学さん、新さん

濃密な思い出が多い実家だが、納谷さん兄弟は実家をどう捉えているのでしょう

(学さん)「今は、ちゃんと実家に帰るのは年1回くらい。なるべく秋田の仕事をつくって、15分だけ実家に顔を出して、東京にとんぼ返りということも(苦笑)。それでも、やっぱり実家は帰る場所なんですよ」

(新さん)「昨年、就職してひとり暮らしを始めた娘から“年末に帰る”と言われて、僕の家も“実家”なんだと気づきました(笑)。
実家って、家族それぞれが持つ精神的な存在なんでしょうね」

 

pfofile


建築家納谷学氏納谷 学(写真左)/ 1961年、秋田県生まれ。
’85年、芝浦工業大学卒業。黒川雅之建築設計事務所、野沢正光建築工房を経て、’93年、弟の新さんと共同で納谷建築設計事務所を設立する。

 

建築家納谷新氏

納谷 新/1966年、秋田県生まれ。
’91年、芝浦工業大学卒業。山本顕設計工場を経て、’93年、納谷建築設計事務所を設立。昭和女子大学、東海大学非常勤講師

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