マンションの「耐震基準」「耐震等級」最低限知ってほしいこと【不動産業界で19年働いて分かった!】
今回は、マンションの「耐震基準」と「耐震等級」について解説します。
筆者はこの記事を平成30年3月11日、東日本大震災が発生した日に書きました。
7年前のこの日は、当時勤務していた渋谷の東急プラザ裏で玉川通りに面した不動産会社の社内におりましたが、目の前の首都高速の橋脚や道路の反対側のビルが大きく揺れているという初めて見る光景に仰天させられました。
そもそも自分が入っているビルが崩れてしまうかもしれないという恐れもあり、長く東京に住んでいて地震には慣れっこになっていた筆者でもこれまでにない恐怖感がありました。
「新耐震基準」とはそもそも何か

カワグチツトム / PIXTA(ピクスタ)
現行の建築基準法における耐震構造の基準は昭和56年6月1日以降に建築確認を受けた建物から適用されており、新耐震基準として震災以降急速に知られるようになりました。
それに対してその前日までに適用されていた基準は、旧耐震基準と呼ばれて区別されています。
新耐震基準は昭和53年に発生した宮城県沖地震をきっかけとして制定されたもので、コンセプトとしては「その建物が存在する期間中に1回発生するかしないかという規模の地震に遭遇しても死なない」ということを目指しています。
具体的には「震度7程度の地震で倒壊しない、震度6クラスの地震なら軽微な損傷にとどまる」ということが求められており、「震度5程度の揺れで建物が倒壊しない」という旧耐震基準と比べると大幅に強化されたものになりました。
平成7年に発生した阪神大震災において多くの建物が倒壊しましたが、新耐震基準で設計された建物が倒壊した事例はほとんどなかったといわれ、これは東日本大震災でも同様であったようです。
震度7が2回発生した熊本地震では「新耐震基準」はどうだったか?

Graphs / PIXTA(ピクスタ)
平成28年に発生した熊本地震においては、棟と棟を結ぶエキスパンションジョイントと呼ばれる部分のカバーが揺れの力により外れたマンションが話題になりました。
ジョイント部に設けられた隙間だけでは揺れを吸収しきれず、渡り廊下の壁が破損した部分もあり、見た目は衝撃的なものがありましたが、震度7の地震で住居部分に損傷がなかったのですから新耐震基準の精神から言ってもまったく問題ありません。
これを事情をよくわからないテレビ局が「マンションが裂けている」と報道し、地元のマンション管理士があたかも欠陥建築であるかのような主張をしていましたが、これはいかがなものかと思います。
熊本県益城町では新耐震基準の戸建てが99棟倒壊しており、建物の下敷きとなって亡くなった方も数多く発生しました。
これにより基準への信頼が揺らいだというような記事もよく見ましたが、震度7が2回発生したというこれまでの常識では考えられない地震であったこともあり、もはやどうしようもなかったとも思います。
「耐震等級」とは何を表すのか?

Mugimaki / PIXTA(ピクスタ)
新耐震基準とは別に「耐震等級」という言葉が使われる場合があります。
これは平成12年に制定された「住宅の品質確保の促進等に関する法律」(品確法)に基づいて制定されたもので、新耐震基準を満たしていれば1、新耐震基準の1.25倍の強度があれば2、1.5倍の強度があれば3になります。
営業時代に筆者が営業トークで使っていた大雑把なイメージとしては、耐震等級2は「避難所となる建物(学校等)と同じレベル」、耐震等級3は「大規模災害発生時に防災活動の拠点となる建物(市役所、大病院等)と同じレベル」ということになります。
筆者が新築マンションの営業をしていたのはちょうど品確法が施行された時期で、耐震等級2の物件が流通し始めた頃になります。
販売センターには1と2の違いを示すための模型が置かれていましたが、柱の中の鉄筋の量がまったく違っていました。
「耐震等級3のマンション」は恐らく存在しない

ABC / PIXTA(ピクスタ)
耐震等級は1上がる度に建築費が上昇してその分だけコストに跳ね返ります。
また強度を上げるためには壁を厚くしたり窓を小さくしたりする必要があり、耐震等級3のマンションは現実問題として無理であろうといわれていました。
筆者は等級3の戸建は1例だけ見たことがありますが、マンションではこれまで見たことがなく、恐らくこの世に存在しないだろうと思っています。
一時的に流行した耐震等級2のマンションですが、上海万博や北京オリンピックに向けて中国で建設ラッシュが始まると資材不足により建設費が高騰し、すぐに見なくなってしまいました。
それに伴って「耐震等級は2でないと心配です」から「1で十分なんです」と営業トークも変えねばならず、筆者も面食らったものです。
新耐震基準のマンションはやはり安心

篠原栄治 / PIXTA(ピクスタ)
7年前の3月11日、筆者は会社に泊まり込む覚悟を決め、近くのコンビニの行列に加わって食料を確保しましたが、深夜になって東急線が運転を再開したので自宅に帰ることができました。

Caito / PIXTA(ピクスタ)
東京は震度5強という揺れであったため、ガスが止まっていたこと以外特に変わったことはなく、ただテレビの上に置いてあった目覚まし時計が落下し、その際に電池が外れてしまったために地震発生の時刻で止まっていたことを今でも覚えています。
筆者の自宅も新耐震基準のマンションであり、仮に巨大災害が発生しても自宅に戻れば大丈夫であろうと思っていますが、仮にライフラインがすべて止まって籠城ということになってもいいよう、最低限の水と米とカセットコンロを常に確保しておくよう心掛けています。